歴史

神道流から神道一心流兵法への発展経緯

江戸

下谷御徒町道場時代

寛政四年二月 下谷御徒町道場が完成。虚中軒は本格的に自己の創始した「神道一心流兵法」である剣、槍、薙刀術の流布を開始し四月には、内弟子の皆川善十が兄の仇を討つ。

巷誌に紹介されると門下希望者が陸続と集まり関東甲信越からも陸続と門に入来ると、藤川近義の名代として一橋家の剣術指南へ出向いていたが、寛政四年に一橋家の士分で召し抱えとなり、寛政七年十二月 一橋家剣術薙刀術師範役となる。

郷里の父 宣久は歓喜して流儀開眼の地である上州三峯山正一位河内大明神御廣前に報告し四軒半の大木剣を奉納、郷里 利根沼田の人々が参詣しその出世を祝った。今なお、日本一の大木剣として現存している。

寛政十二年三月 内弟子の徳力貫蔵が母の仇討ちをして郷里 仙台藩に召抱えられ、いよいよ虚中軒の名は高まり、享和三年八月 一橋家御廣敷添番(一橋公の身辺警護役)となる。

文化三年三月 江戸火災により下谷御徒町宅道場類焼。
同年十二月 小川町広小路に転居して宅道場を普請。

文化七年十月 浅草観音に奉額門人四百五十一とある。
同年同月 深川八幡前にも道場を普請し完成した。

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